介護のコラムを読む

介護日記・二人の父の雑記帳

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第219回 続・最初のグループホームでのタクさん(2007年3月25日)

前回の続きです。
グループホームとデイへ行く仕切りのドアに鍵を掛け、閉じ込めにも似た行為について相当な不信感を抱いた私でした。
このグループホームは上階がケアハウスで、1階のグループホームはそのついでに作ったような感じに思われました。
デイへの参加も、グループホームでの人手が足りないのでデイに参加してもらった方がラクだからのように思えました。

こうなると、悪い方に何でも受けとってしまいたくなります。
このグループホームでは、タクさんより状態が軽そうに見える方がほとんどでしたが、中には常時車椅子生活で、立ち上がり防止の抑制帯をつけた、父より重そうな方もおられました。
この車椅子の男性のズボンがすぐズレて脱げてしまい直して差し上げたり、靴もすぐ脱げてしまうので履かせて差し上げたりしました。
こんな状態の方も特養に入れないため、グループホームに入居されています。
ある日、施設長さんがわざわざ私を呼んでこう言いました。
「タクさんは、この事務室に入ってきて何度かゴミ箱に放尿したことがあるんですよ」
「そうですか。家でもよくやってましたから、ゴミ箱には物を入れないようにしていました」
「困るんですよね。ゴミ箱にされるのは。そのような行動が続くようなら、薬を処方する方法もありますよ」
こんなことで困ると言う施設長さん。
認知症なら、こんなことよくある話で大して迷惑なことではないと思うのです。
しかも、こんなことで薬を使う??
いくら病院併設とは言っても、そう簡単にこんなことで薬を使おうとする施設長の考え方って!!??
とても納得できません。
こんな人に色々言っても無駄だと思いました。

鍵で閉じ込めの件から、ここを退去しようと思っていた私でしたが、この薬の一件ではっきりここを出ようと決め、退去を申し出ました。
入居して4週間程経っていました。
その後も父とは面会のたびに外へお散歩へ行き、楽しく過ごしました。
退去日1週間前、突然ホームから父が同じ敷地内の併設の病院へ入院したと連絡がありました。
狭心症で2泊3の入院でした。
それまで父は全く狭心症になったことはありませんでした。
点滴をして胸が痛いとベッドでうなっていた父の痛々しい姿が今でも目に焼きついています。
苦しそうにしていたのは1日程度で済み、すぐ元気になりました。
何ともなさそうに見えた父でしたが、このホームでの生活がストレスだったのかもしれません。
父には気の毒なことをしました。
チーフの男性職員さんは、よくやってくださいました。
その後も、父の様子に特に変化は見られませんでした。
退去日が近づいたある日、ふと見ると鍵をかけていたドアは開放するようになって、開けたドアに綺麗な菖蒲の絵の長く垂れるのれんが掛けられていました。
私が鍵を掛けずに何とか別の方法で対処できないか?と申し入れたのを聞いてくれたようでした。
6月末で菖蒲の時期でした。
殺風景だったこのホームが、のれん一つで印象が良くなりました。
1ヵ月半のグループホームでの生活にピリオドを打ち、タクさんはまた今まで通りにデイとショートを利用する日々となりました。

私はこのグループホームの問題点をケアマネさんに全部話しました。
「あのホームはあまり評判が良いとは言えない」とケアマネさんがおっしゃっていました。
施設を辞める時の精算時に、最初に知らされた額より、どんどん増えてしまった利用者さんがいたことのようでした。
父の場合は、費用的にそのようなことはありませんでした。
父の退去後、私はこのグループホームの不満点を父の市の介護保険課の相談窓口に訴えました。
鍵掛けの件、すぐ薬で対処しようとする施設長の考え方、妙に20代前半の男性ばかり多く偏っていること。
今後、利用する方に、このままではまた同じような不満が出てしまうのを防ぐために。
そして、施設の内部事情を明らかにするために。
介護保険課担当係の職員さんは、知らなかった!と驚いて話を聞いてくださって、この話を更に上に持って行くとおっしゃって、このグループホームの視察に入り、改善を促す方向に持って行くという話しに落ち着きました。
このグループホームの空き室が出て、市の広報誌に募集を掲載したこと自体、待機者がいない程、人気がない、または知られていない施設ということで、一癖ある施設ということに気づかなかった私も軽率でした。
早く入居できること、病院併設に目が奪われてしまったからでした。

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